追悼 マイケルジャクソン 愛の歌で戦った人
<マスメディアとの関係>
7月7日七夕の今日西部時間午前10時から、ロサンゼルスで、マイケルジャクソンの公の葬儀が、国葬以上の規模の大きさで、Staples Centerで開かれる予定です。
アメリカの3大ネットワークのABC, CBS, NBC及び3大ケーブルのMSNBC, FOX, CNNは、それぞれの看板スターアンカーを現地に送り込みその日は、他に重大なニュースがない限り、アメリカネットワークニュースはマイケルジャクソンのこのお葬式で一色になる模様です。
同時に、各社がオンラインでもライブでその中継を流すため、インターネットの歴史上最も大きいイベントになるともいわれ、注目度の高さから、サーバーがクラッシュするところも多々出てくるとみられているそうです。(July 7, 2009 Times Online)
私は彼ほど、誹謗中傷の個人攻撃をマスメディアから、まさに総攻撃といった感じで受けたアーティストを他に知らない。
そして彼ほど、亡くなった後の放送量が多いアーティストも他に知らない。
各放送局は、マイケルジャクソン関連の放送をすると視聴率が上がるとのことで、今は競争して放送しています。
でも、彼に関する事で、本当に重要な事は、膨大などうでもいい情報の山に埋もれてしまっているみたいに感じます。
マイケルがアメリカのメディアで行ったインタビューの最後は、2007年の12月、Ebony Magazine(Bryan Monroeインタビュー)です。
その雑誌は、黒人の人が運営する雑誌で、きちんとマイケルに、作品の作り方とか、重要なことを聞いています。
今これほど視聴率獲得のために争って放送しているメディアが、どうして生前にほんの少しでも、マイケルサイドの話を偏向なしに、公正に伝えようとしなかったのか、
心から哀しみと、そういう気持ちを持っては本当はいけないと思うのですが、怒りを感じてしまいます。
レニークラビッツは、NPRというラジオの公共放送局で、マイケルと会った時、人々が彼をどのように見ているかについて思うと、どんなに悲しく感じたか、時に人にものすごく傷つけられることがある、(話してくれると思わなかったので驚いた)と話していました(NPR, Talk of the Nation, June 29 2009)。
放送では、くわしく話してくれませんでしたが、マイケルジャクソンと一緒につくっていた曲があるが、未だに未発売、と言っていました。
マイケル本人が、マスコミの偏向報道に対してどう思っていたか、彼自身の曲に、気持ちがそのまま書かれていて、胸が痛くなります。
自分に対する間違ったゴシップや情報を報道されている状況に対しての怒りは、
Leave me alone やScreamで歌われています。
また、いわれない児童虐待の訴えと、その報道に対峙していた時のマイケルの心の内は、
Stranger in Moscowで歌われています。児童虐待の告発騒動のまっただ中だった93年、モスクワツアー中に歌を書き上げ、実際に作品が発表されたのは、1996年11月。
そこで彼は、栄光からの転落と、それがもたらした孤独、疎外感、パラノイア、狂気の淵まで心がさまよった様子を描いています。
They Don't Care About Usでは、マイケル自身の置かれた基本的人権が侵害されるという不条理な状況と今の世界の多くの権利を抑圧されている人々が重なります。
こんなに正面切って権力を批判する歌って他にあるんでしょうか。PVはブラジルDona Martaロケとプリズンバージョンの二つあり、両方ともスパイクリー監督。マイケルジャクソンを迎える前の日、スラムに住む人たちは、とても早起きをして、ごみを捨てたり、道を洗ったりして、マイケルが来る準備をしたそうです。彼は、ヘリコプターで来たけれど、Dona Martaの道を歩き、人々と握手をし、キャンディーを配ったそうです。Dona Martaは麻薬取引で当時悪名高い街でしたが、今では麻薬取引は一切なく、大規模なソーシャルプロジェクトが進行中だそうですが、それはマイケルジャクソンがそこに来て、ビデオを撮ったことで注目を集めたことが、この素晴らしい変化の始まりとなったそうです。マイケルジャクソンが亡くなって一日も経たない内に、リオデジャネイロの市長は、マイケルジャクソンの銅像を、Dona Martaに建てるとアナウンスしました。1996年の彼のビデオ撮影のための訪問がきっかけとなり、麻薬取引で悪名高い街から、社会発展のモデルとなったからです。(Billboard, July 02 2009)
(この歌は発売前にニューヨークタイムズ紙が歌詞の一部が反ユダヤ的だと批判をしたことからメディアでバッシングされ、アメリカではラジオ局で流したがらなかったと聞きます。)
亡くなる二日前にフルドレスリハーサルをしていて、その様子がビデオで記録されています。ほんの一部分だけメディアに公開されています(他の部分は、メイキング用に記録している100時間以上の映像と併せて、コンサートを運営する予定だった会社が発売する予定だそうですが、その公開された部分が、このThey Don't Care About Usの一部でした。)
<慈善事業への貢献>
マイケルが、世界のよわきもの、ちいさきもの、きりすてられるものの存在に対し、わがことのようにその痛みを感じていたことが、
Man in the MirrorやHeal the World等に強く感じます。
Man In The Mirror(一部より)
僕はストリートにいるこども達を見た
食べるものも充分になく
僕は何なんだ、眼がみえないとでもいうのか、
彼らのニーズに気付かないふりをして
僕はこの鏡の中にいる男から始める
僕はこの男に今までの生き方を変えろと問う
どんなメッセージもこれ以上に明白なのはない
もしこの世界をよりよい場所にしたいのなら
自分自身をよく見るんだ、そして変えるんだ
Heal the World(一部より)
嘘をつけない愛がある
愛は強い
喜びに満ちた与えるという行為しか気にかけない
もしわたしたちが試してみたら
それを知ることができる
この至福の中では、恐怖も心配も 感じることがない
わたしたちはただ存在していることをやめて、
(本当の意味で)生きることをはじめるんだ
わたしたちはすごく高く飛べる
わたしたちの精神を決して殺さないで
わたしの心の中では、
あなたたちはみな
わたしのきょうだいと感じる
恐怖のない世界をつくろう
一緒にわたしたちは しあわせの涙をながそう
様々な国家が、彼らの剣をすきの刃に変えていくのを見よう
わたしたちはそこへ到達できる
もしあなたが充分に心に気にかけてくれるのなら
いきとしいけるものに対し
ちいさなスペースをつくってくれるのなら、
よりよい場所をつくるために
彼は歌を通して訴えていただけでなく、実際に様々な慈善事業を支援していました。
それらの功績から、1998年と2003年に二回ノーベル平和賞にノミネートされています。
現在も、ファンの人がノミネートすべく、オンラインで署名を集めています。
http://www.petitionspot.com/petitions/mjfornobelpeaceprize
1992年にHeal The World Foundationを創設したり、
http://www.healtheworld.us/members/htwf
2000年のギネスレコードには、ポップスターでもっとも慈善事業を支援している人に認定されたそうです。
下記のサイトでは、マイケルジャクソンのチャリティーが非常に精細なタイムラインで掲載されています。
http://www.jacksonaction.com/?page=charity.htm
貢献していたチャリティー団体のリスト
http://www.allmichaeljackson.com/charities.html
AIDS Project L.A.
American Cancer Society
Angel Food
Big Brothers of Greater Los Angeles
BMI Foundation, Inc.
Brotherhood Crusade
Brothman Burn Center
Camp Ronald McDonald
Childhelp U.S.A.
Children's Institute International
Cities and Schools Scholarship Fund
Community Youth Sports & Arts Foundation
Congressional Black Caucus (CBC)
Dakar Foundation
Dreamstreet Kids
Dreams Come True Charity
Elizabeth Taylor Aids Foundation
Juvenile Diabetes Foundation
Love Match
Make-A-Wish Foundation
Minority Aids Project
Motown Museum
NAACP
National Rainbow Coalition
Rotary Club of Australia
Society of Singers
Starlight Foundation
The Carter Center's Atlanta Project
The Sickle Cell Research Foundation
Transafrica
United Negro College Fund (UNCF)
United Negro College Fund Ladder's of Hope
Volunteers of America
Watts Summer Festival
Wish Granting
YMCA - 28th Street/Crenshaw
また、チャリティーソングも、We are the worldを始め、
What More Can I Give (1999; 当初ネルソンマンデラ大統領に99年に会った事がインスピレーションとなった曲(wiki)。911でアメリカが攻撃された後の、愚かな暴力と大量虐殺の中にあって、人々に慰めと、そして地球規模の団結の感覚をつくるため、という意図を持ってレコーディングされた(wiki)。911直後にUnited We Stand: What More Can I Giveという慈善コンサートで、マイケルとその他の大勢のアーティスト達がこの曲を歌ったのをABC放送局は放送した。しかし、アルバムを発売することが出来ず、オンラインで一曲2ドルでダウンロードする方式でやっと世に出せた出来たのは2003年10月。期間限定だったので、今は正規には発売されていない。)
I Have This Dream (1995?)はハリケーンカトリーナ救済のためにレコーディング作業をしていたが、今に至るまで未発売。唯一インストゥルメンタル+マイケルの作業中の話し声が入った作業中バージョンのみ、youtubeで見ることが出来ます。歌詞は検索すれば出て来ます。
<黒人アーティストの道を開く>
今はメインストリームの黒人アーティストの存在が当たり前すぎて、そんな時代があったことは忘れ去られていますが、マイケルがビリージーンでメインストリームのアーティストとして再デビューした時、マイケルこそが当時の黒人アーティストをとり囲む障害を倒し、後に続く後輩たちの道を切り開いたといえる。
当時ラジオ局は白人局では、黒人の音楽は流さなかった。黒人と白人の音楽は分かれていた。マイケルは、その人種で別れていた様々な音楽ジャンルを統合し、新たなジャンル、ポップスを作ったとまでいわれる。
例えば、CBSの元社長によると、ビリージーンのPVを流してもらおうとした際に、MTV側は、黒人のアーティストは流さない、と言ったそうだが、それを世間に公表したらどんな反応だろう、流さないというのならCBSレコード所属の歌手は全部取り下げる、と半ば脅迫して、あのビリージーンを流せることになった、という。
"They said they don't play [Black artists]. It broke my heart, but at the same time it lit something. I was saying to myself, "I have to do something where they...I just refuse to be ignored.
「彼らは、(黒人アーティストは)流さない、と言った。そのことはすごく哀しかったが、それと同時に、(心の)何かに火をつけた。私は自分自身に言った、私は何か、彼らが(無視出来ないことを)しなければならない、私は無視されることを拒否する、と。」(マイケルジャクソン、2007年の12月、Ebony Magazine誌より)
結果、マイケルのPVは、全ての記録を塗り替えた。人種を超えて、国境を超えて、世界に受け入れられた。その時、おおげさでなく、確実に歴史が変わった。
(フレッドアステアも、ビリージーンで初公開されたムーンウォークを、マイケルの前で、手の平の上で、やってみせたという。)
彼の後に、プリンスが続き、その他の多くの黒人のアーティスト達が、マイケルジャクソンの開けたドアに続いた。
You Were There (1989; サミーデービスJr.の60才を祝うために、マイケルがつくった歌。サミーのために作ったからと、その時一回だけパフォーマンスした。今聞くと、歌詞の内容がまるでマイケル自身の人生を歌っているかのよう。未発売?)
You Were There
あなたはそこにいた、我々が来る前に
あなたは甘んじて傷を受け、辱めを受けた
彼らはあなたの道をふさぐために壁を建てた
あなたはそれを壊し、
あなたは最後に勝利した
それは正しくなかった、フェアじゃなかった
あなたは彼らに全て教えた
あなたは彼らにケア(心に気にかけ)させることが出来た
そう、あなたはそこにいた、そしてあなたのおかげで
今は我々全てが歩いて通れるドアがある
そして我々はここにいる、我々全員が見(届け)るために
我々がなれ得る最上の者になるために
そう、私はここにいる。。。
なぜならあなたがそこにいたから
<愛のメッセージ>
マイケルは、自身の音楽的成功に慢心することなく、彼のつくった歌から感じられることは、彼がこの今の世界の不公正(injustice)に心を痛めていること、そして歌を通じ、そして数々の慈善事業を通じ、世界を今よりもよりいい、まずしきもの、ちいさきもの、よわきものを大切にする、やさしく明るい場所にしようと、本気で、一過性の伊達や酔狂でなく本気で、愛を込めて歌を歌っていた、ということ。
日本テレビ制作1987年のBad Tourのドキュメンタリー(You tube)で、マイケルと彼のクルーがステージ前に祈りを捧げるシーンがあったが、そこで、
「かみさま、わたし達は日本でがんばっています。今夜もわたし達の愛のメッセージが、客席まで届きますように、力を与えて下さい、」と祈りを捧げているのが印象的だった(ひとりのクルーが代表して祈りを捧げ皆はそこに一緒にいて眼をつぶり一緒に祈るという形)。
そして、このツアーでは、Another Part of Meという、大きな愛を私たちはあなたに送る、という歌を歌っている。
また、このキュメンタリーの中で、マイケルがホテルに置いてあったホワイトボードのようなもの、にメッセージを書き残しているのが映されていた。
そこには、
MAKE LOVE YOUR
WEAPON TO OVERCOME
ANY EVIL
Michael Jackson
愛を
どんな悪も乗り越えるための
あなたの武器としなさい
と書き残してあった。
ジャクソン5として、モータウンで活躍していた子供の頃のインタビュー(CBS 60minutes)で、
"Well, whatever I say, that's what I really mean,
like a singing a song,
I don't say it,
if I don't mean it."
「まあ、何を僕が言うにしろ、それは僕が本当に思っていることだ、
歌を歌っている時でも、
もし僕が、本当にそれを思っていなければ、
僕は言わない(本当に思っている事しか歌わない)。」
と言っていた。
彼は、本気で思っていること以外、歌にしなかった。
彼の書いた歌には、彼の心がそのまま現れている。
”The key to being a wonderful writer is not to write.
You just get out of the way. Leave room for God to walk in the room.”
素晴らしいライター(作詞作曲)になるための鍵は、書くことにあるんじゃない。
ただ、邪魔しないように、場所をあけるんだ。
神が部屋に入ってくるための余地を、あけておくんだ。(Ebony誌, Dec 2007: interviewed by Bryan Monroe, アメリカメディアで受けた最後のインタビューから)
http://concreteloop.com/2007/11/michael-jackson-covers-ebony
who wants mortality, i mean isn't any one, in mortality you want what you create to live, sculpture or painting or music, composition uh
like Michelangelo said, you know, i know the creator will go, but its works survives
that is like to escape death, I attempt to bind my soul to my work, this how I feel
i give my all to work because i wanted to just live and just give all I have, you know ..that has to be
(NPR, Talk of the Nation, June 29.2009:Bryan Monroeが上記インタビュー時のテープの一部を流した)
誰が死を望むだろう、私が意味するところはつまり、誰でも、死を免れないあなたは あなたの創作したものが生きることを、彫刻にしろ絵画、音楽、作曲。。。
ミケランジェロが言ったように、私は作者が死ぬ事を知っている、けれどその成した仕事は生き残る、
それってなんだか死をまぬがれるみたいだよね、
私は、私の仕事に、私の魂を入れることを試みている、そう私は感じている、
私は私の全てを仕事に捧げる なぜなら私はただ 生きたい、ただ私が持っている全てを捧げたい。。。そうでなくっちゃ
今、改めて思う事は、彼自身が生前そう望んだように、彼はみんなの心の中に生き続けて行く、ということ。
みんなの心の中にいるから、生きている。
最後に、いちばん大好きな曲、Will You Be There です。
私もできるのなら、これからの大変な時代
世界中の人々と本当の兄弟のように
お互いに関心をもって支え合っていくことができますようにと
心から祈ります
Will You Be There

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7月7日七夕の今日西部時間午前10時から、ロサンゼルスで、マイケルジャクソンの公の葬儀が、国葬以上の規模の大きさで、Staples Centerで開かれる予定です。
アメリカの3大ネットワークのABC, CBS, NBC及び3大ケーブルのMSNBC, FOX, CNNは、それぞれの看板スターアンカーを現地に送り込みその日は、他に重大なニュースがない限り、アメリカネットワークニュースはマイケルジャクソンのこのお葬式で一色になる模様です。
同時に、各社がオンラインでもライブでその中継を流すため、インターネットの歴史上最も大きいイベントになるともいわれ、注目度の高さから、サーバーがクラッシュするところも多々出てくるとみられているそうです。(July 7, 2009 Times Online)
私は彼ほど、誹謗中傷の個人攻撃をマスメディアから、まさに総攻撃といった感じで受けたアーティストを他に知らない。
そして彼ほど、亡くなった後の放送量が多いアーティストも他に知らない。
各放送局は、マイケルジャクソン関連の放送をすると視聴率が上がるとのことで、今は競争して放送しています。
でも、彼に関する事で、本当に重要な事は、膨大などうでもいい情報の山に埋もれてしまっているみたいに感じます。
マイケルがアメリカのメディアで行ったインタビューの最後は、2007年の12月、Ebony Magazine(Bryan Monroeインタビュー)です。
その雑誌は、黒人の人が運営する雑誌で、きちんとマイケルに、作品の作り方とか、重要なことを聞いています。
今これほど視聴率獲得のために争って放送しているメディアが、どうして生前にほんの少しでも、マイケルサイドの話を偏向なしに、公正に伝えようとしなかったのか、
心から哀しみと、そういう気持ちを持っては本当はいけないと思うのですが、怒りを感じてしまいます。
レニークラビッツは、NPRというラジオの公共放送局で、マイケルと会った時、人々が彼をどのように見ているかについて思うと、どんなに悲しく感じたか、時に人にものすごく傷つけられることがある、(話してくれると思わなかったので驚いた)と話していました(NPR, Talk of the Nation, June 29 2009)。
放送では、くわしく話してくれませんでしたが、マイケルジャクソンと一緒につくっていた曲があるが、未だに未発売、と言っていました。
マイケル本人が、マスコミの偏向報道に対してどう思っていたか、彼自身の曲に、気持ちがそのまま書かれていて、胸が痛くなります。
自分に対する間違ったゴシップや情報を報道されている状況に対しての怒りは、
Leave me alone やScreamで歌われています。
また、いわれない児童虐待の訴えと、その報道に対峙していた時のマイケルの心の内は、
Stranger in Moscowで歌われています。児童虐待の告発騒動のまっただ中だった93年、モスクワツアー中に歌を書き上げ、実際に作品が発表されたのは、1996年11月。
そこで彼は、栄光からの転落と、それがもたらした孤独、疎外感、パラノイア、狂気の淵まで心がさまよった様子を描いています。
They Don't Care About Usでは、マイケル自身の置かれた基本的人権が侵害されるという不条理な状況と今の世界の多くの権利を抑圧されている人々が重なります。
こんなに正面切って権力を批判する歌って他にあるんでしょうか。PVはブラジルDona Martaロケとプリズンバージョンの二つあり、両方ともスパイクリー監督。マイケルジャクソンを迎える前の日、スラムに住む人たちは、とても早起きをして、ごみを捨てたり、道を洗ったりして、マイケルが来る準備をしたそうです。彼は、ヘリコプターで来たけれど、Dona Martaの道を歩き、人々と握手をし、キャンディーを配ったそうです。Dona Martaは麻薬取引で当時悪名高い街でしたが、今では麻薬取引は一切なく、大規模なソーシャルプロジェクトが進行中だそうですが、それはマイケルジャクソンがそこに来て、ビデオを撮ったことで注目を集めたことが、この素晴らしい変化の始まりとなったそうです。マイケルジャクソンが亡くなって一日も経たない内に、リオデジャネイロの市長は、マイケルジャクソンの銅像を、Dona Martaに建てるとアナウンスしました。1996年の彼のビデオ撮影のための訪問がきっかけとなり、麻薬取引で悪名高い街から、社会発展のモデルとなったからです。(Billboard, July 02 2009)
(この歌は発売前にニューヨークタイムズ紙が歌詞の一部が反ユダヤ的だと批判をしたことからメディアでバッシングされ、アメリカではラジオ局で流したがらなかったと聞きます。)
亡くなる二日前にフルドレスリハーサルをしていて、その様子がビデオで記録されています。ほんの一部分だけメディアに公開されています(他の部分は、メイキング用に記録している100時間以上の映像と併せて、コンサートを運営する予定だった会社が発売する予定だそうですが、その公開された部分が、このThey Don't Care About Usの一部でした。)
<慈善事業への貢献>
マイケルが、世界のよわきもの、ちいさきもの、きりすてられるものの存在に対し、わがことのようにその痛みを感じていたことが、
Man in the MirrorやHeal the World等に強く感じます。
Man In The Mirror(一部より)
僕はストリートにいるこども達を見た
食べるものも充分になく
僕は何なんだ、眼がみえないとでもいうのか、
彼らのニーズに気付かないふりをして
僕はこの鏡の中にいる男から始める
僕はこの男に今までの生き方を変えろと問う
どんなメッセージもこれ以上に明白なのはない
もしこの世界をよりよい場所にしたいのなら
自分自身をよく見るんだ、そして変えるんだ
Heal the World(一部より)
嘘をつけない愛がある
愛は強い
喜びに満ちた与えるという行為しか気にかけない
もしわたしたちが試してみたら
それを知ることができる
この至福の中では、恐怖も心配も 感じることがない
わたしたちはただ存在していることをやめて、
(本当の意味で)生きることをはじめるんだ
わたしたちはすごく高く飛べる
わたしたちの精神を決して殺さないで
わたしの心の中では、
あなたたちはみな
わたしのきょうだいと感じる
恐怖のない世界をつくろう
一緒にわたしたちは しあわせの涙をながそう
様々な国家が、彼らの剣をすきの刃に変えていくのを見よう
わたしたちはそこへ到達できる
もしあなたが充分に心に気にかけてくれるのなら
いきとしいけるものに対し
ちいさなスペースをつくってくれるのなら、
よりよい場所をつくるために
彼は歌を通して訴えていただけでなく、実際に様々な慈善事業を支援していました。
それらの功績から、1998年と2003年に二回ノーベル平和賞にノミネートされています。
現在も、ファンの人がノミネートすべく、オンラインで署名を集めています。
http://www.petitionspot.com/petitions/mjfornobelpeaceprize
1992年にHeal The World Foundationを創設したり、
http://www.healtheworld.us/members/htwf
2000年のギネスレコードには、ポップスターでもっとも慈善事業を支援している人に認定されたそうです。
下記のサイトでは、マイケルジャクソンのチャリティーが非常に精細なタイムラインで掲載されています。
http://www.jacksonaction.com/?page=charity.htm
貢献していたチャリティー団体のリスト
http://www.allmichaeljackson.com/charities.html
AIDS Project L.A.
American Cancer Society
Angel Food
Big Brothers of Greater Los Angeles
BMI Foundation, Inc.
Brotherhood Crusade
Brothman Burn Center
Camp Ronald McDonald
Childhelp U.S.A.
Children's Institute International
Cities and Schools Scholarship Fund
Community Youth Sports & Arts Foundation
Congressional Black Caucus (CBC)
Dakar Foundation
Dreamstreet Kids
Dreams Come True Charity
Elizabeth Taylor Aids Foundation
Juvenile Diabetes Foundation
Love Match
Make-A-Wish Foundation
Minority Aids Project
Motown Museum
NAACP
National Rainbow Coalition
Rotary Club of Australia
Society of Singers
Starlight Foundation
The Carter Center's Atlanta Project
The Sickle Cell Research Foundation
Transafrica
United Negro College Fund (UNCF)
United Negro College Fund Ladder's of Hope
Volunteers of America
Watts Summer Festival
Wish Granting
YMCA - 28th Street/Crenshaw
また、チャリティーソングも、We are the worldを始め、
What More Can I Give (1999; 当初ネルソンマンデラ大統領に99年に会った事がインスピレーションとなった曲(wiki)。911でアメリカが攻撃された後の、愚かな暴力と大量虐殺の中にあって、人々に慰めと、そして地球規模の団結の感覚をつくるため、という意図を持ってレコーディングされた(wiki)。911直後にUnited We Stand: What More Can I Giveという慈善コンサートで、マイケルとその他の大勢のアーティスト達がこの曲を歌ったのをABC放送局は放送した。しかし、アルバムを発売することが出来ず、オンラインで一曲2ドルでダウンロードする方式でやっと世に出せた出来たのは2003年10月。期間限定だったので、今は正規には発売されていない。)
I Have This Dream (1995?)はハリケーンカトリーナ救済のためにレコーディング作業をしていたが、今に至るまで未発売。唯一インストゥルメンタル+マイケルの作業中の話し声が入った作業中バージョンのみ、youtubeで見ることが出来ます。歌詞は検索すれば出て来ます。
<黒人アーティストの道を開く>
今はメインストリームの黒人アーティストの存在が当たり前すぎて、そんな時代があったことは忘れ去られていますが、マイケルがビリージーンでメインストリームのアーティストとして再デビューした時、マイケルこそが当時の黒人アーティストをとり囲む障害を倒し、後に続く後輩たちの道を切り開いたといえる。
当時ラジオ局は白人局では、黒人の音楽は流さなかった。黒人と白人の音楽は分かれていた。マイケルは、その人種で別れていた様々な音楽ジャンルを統合し、新たなジャンル、ポップスを作ったとまでいわれる。
例えば、CBSの元社長によると、ビリージーンのPVを流してもらおうとした際に、MTV側は、黒人のアーティストは流さない、と言ったそうだが、それを世間に公表したらどんな反応だろう、流さないというのならCBSレコード所属の歌手は全部取り下げる、と半ば脅迫して、あのビリージーンを流せることになった、という。
"They said they don't play [Black artists]. It broke my heart, but at the same time it lit something. I was saying to myself, "I have to do something where they...I just refuse to be ignored.
「彼らは、(黒人アーティストは)流さない、と言った。そのことはすごく哀しかったが、それと同時に、(心の)何かに火をつけた。私は自分自身に言った、私は何か、彼らが(無視出来ないことを)しなければならない、私は無視されることを拒否する、と。」(マイケルジャクソン、2007年の12月、Ebony Magazine誌より)
結果、マイケルのPVは、全ての記録を塗り替えた。人種を超えて、国境を超えて、世界に受け入れられた。その時、おおげさでなく、確実に歴史が変わった。
(フレッドアステアも、ビリージーンで初公開されたムーンウォークを、マイケルの前で、手の平の上で、やってみせたという。)
彼の後に、プリンスが続き、その他の多くの黒人のアーティスト達が、マイケルジャクソンの開けたドアに続いた。
You Were There (1989; サミーデービスJr.の60才を祝うために、マイケルがつくった歌。サミーのために作ったからと、その時一回だけパフォーマンスした。今聞くと、歌詞の内容がまるでマイケル自身の人生を歌っているかのよう。未発売?)
You Were There
あなたはそこにいた、我々が来る前に
あなたは甘んじて傷を受け、辱めを受けた
彼らはあなたの道をふさぐために壁を建てた
あなたはそれを壊し、
あなたは最後に勝利した
それは正しくなかった、フェアじゃなかった
あなたは彼らに全て教えた
あなたは彼らにケア(心に気にかけ)させることが出来た
そう、あなたはそこにいた、そしてあなたのおかげで
今は我々全てが歩いて通れるドアがある
そして我々はここにいる、我々全員が見(届け)るために
我々がなれ得る最上の者になるために
そう、私はここにいる。。。
なぜならあなたがそこにいたから
<愛のメッセージ>
マイケルは、自身の音楽的成功に慢心することなく、彼のつくった歌から感じられることは、彼がこの今の世界の不公正(injustice)に心を痛めていること、そして歌を通じ、そして数々の慈善事業を通じ、世界を今よりもよりいい、まずしきもの、ちいさきもの、よわきものを大切にする、やさしく明るい場所にしようと、本気で、一過性の伊達や酔狂でなく本気で、愛を込めて歌を歌っていた、ということ。
日本テレビ制作1987年のBad Tourのドキュメンタリー(You tube)で、マイケルと彼のクルーがステージ前に祈りを捧げるシーンがあったが、そこで、
「かみさま、わたし達は日本でがんばっています。今夜もわたし達の愛のメッセージが、客席まで届きますように、力を与えて下さい、」と祈りを捧げているのが印象的だった(ひとりのクルーが代表して祈りを捧げ皆はそこに一緒にいて眼をつぶり一緒に祈るという形)。
そして、このツアーでは、Another Part of Meという、大きな愛を私たちはあなたに送る、という歌を歌っている。
また、このキュメンタリーの中で、マイケルがホテルに置いてあったホワイトボードのようなもの、にメッセージを書き残しているのが映されていた。
そこには、
MAKE LOVE YOUR
WEAPON TO OVERCOME
ANY EVIL
Michael Jackson
愛を
どんな悪も乗り越えるための
あなたの武器としなさい
と書き残してあった。
ジャクソン5として、モータウンで活躍していた子供の頃のインタビュー(CBS 60minutes)で、
"Well, whatever I say, that's what I really mean,
like a singing a song,
I don't say it,
if I don't mean it."
「まあ、何を僕が言うにしろ、それは僕が本当に思っていることだ、
歌を歌っている時でも、
もし僕が、本当にそれを思っていなければ、
僕は言わない(本当に思っている事しか歌わない)。」
と言っていた。
彼は、本気で思っていること以外、歌にしなかった。
彼の書いた歌には、彼の心がそのまま現れている。
”The key to being a wonderful writer is not to write.
You just get out of the way. Leave room for God to walk in the room.”
素晴らしいライター(作詞作曲)になるための鍵は、書くことにあるんじゃない。
ただ、邪魔しないように、場所をあけるんだ。
神が部屋に入ってくるための余地を、あけておくんだ。(Ebony誌, Dec 2007: interviewed by Bryan Monroe, アメリカメディアで受けた最後のインタビューから)
http://concreteloop.com/2007/11/michael-jackson-covers-ebony
who wants mortality, i mean isn't any one, in mortality you want what you create to live, sculpture or painting or music, composition uh
like Michelangelo said, you know, i know the creator will go, but its works survives
that is like to escape death, I attempt to bind my soul to my work, this how I feel
i give my all to work because i wanted to just live and just give all I have, you know ..that has to be
(NPR, Talk of the Nation, June 29.2009:Bryan Monroeが上記インタビュー時のテープの一部を流した)
誰が死を望むだろう、私が意味するところはつまり、誰でも、死を免れないあなたは あなたの創作したものが生きることを、彫刻にしろ絵画、音楽、作曲。。。
ミケランジェロが言ったように、私は作者が死ぬ事を知っている、けれどその成した仕事は生き残る、
それってなんだか死をまぬがれるみたいだよね、
私は、私の仕事に、私の魂を入れることを試みている、そう私は感じている、
私は私の全てを仕事に捧げる なぜなら私はただ 生きたい、ただ私が持っている全てを捧げたい。。。そうでなくっちゃ
今、改めて思う事は、彼自身が生前そう望んだように、彼はみんなの心の中に生き続けて行く、ということ。
みんなの心の中にいるから、生きている。
最後に、いちばん大好きな曲、Will You Be There です。
私もできるのなら、これからの大変な時代
世界中の人々と本当の兄弟のように
お互いに関心をもって支え合っていくことができますようにと
心から祈ります
Will You Be There
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